南紀への転居は数年前からの願望であった。
そして、今の連れ合いも夢中になっている
当人はずっと横浜の中心地に住んでいたので
憧れ半分と、山海の珍味を食べたい一心で
南紀 南紀 と騒いでいる
今では私より地名や交通機関をよく覚えて
やたらと人のブログを読み漁っている。
ざっと目を通すと、現地発の情報といっても
視点が都会人のものか、現地のものかで2種に別れる
現地に行く前から想像できた事を、行った後でさも大事なように
書いている人は都会人出身に多い
神奈川でも少し田舎に行けば当たり前のことが延々と書いてある
それでは永住するのは難しいだろうなと思う
いわば別荘気分で住み着いたに過ぎない
連れ合いの精神構造も全く同様である
海から徒歩3分ぐらいの所にすんでいたので
子供のころは海が生活に大きな比重を占めていた
海には何でもあり、常に変化していて
好奇心や探究心を十分満足させてくれた
日の出、日没、雲の移り変わり。
遠くに見える伊豆大島、近くの江ノ島。極めつけは富士山だ
総てが、海で手に入った
波を見ているのが好きで、寄せては返す
波のパターンの多さに一日中でも眺めていることができた
波の一生を予測したりするのもひとつの楽しみだった。
もちろん波に乗るのも好きだった。
その頃はサーフィンは無かったが、適当な板を使って腹ばいになって波に乗っていた
簡単そうだが、大きな波に乗ると恐ろしいほどの速度になる。
板はすっ飛び、海底に叩きつけらる事もかなりあった
ほんの1秒にも満たない時間だが、今でも思い出せるぐらいの恐怖の一瞬である
海の子だから、物心ついた頃にはもう泳いでいたし
浮かんでいるだけなら、いつまででもできた。
潜るのもかなり長時間できたし、水中眼鏡などなしに底を漁る事もできた
海水浴のシーズンになると、海には入らなかった。
そこは自分の海ではなくなったから。
浜も海も汚染され、海の周りの商店は別人のように皆血走って金を稼ぎ
見知らぬ土地に来たような気がしたものだった。
今では高級なベットタウンになったが、自分が子供の頃の湘南地方は
海も、山もあり、商店街も小さく、当然走っている車も少なかった。
子供は町中にあふれ、海も山も子供たちの天下だったが競争相手も多く
自らのテリトリーを広げるために海は少しでも沖へ、少しでも深いところへと
山の中もどこまでも深く入り込み、穴があればどこまでも奥へと
侵入することによって、自分たちのテリトリーを広げていった。
僅か50年ぐらい前の話である
この画像は南紀や湘南地方とは関係ありません。
電卓からプログラム電卓へ移行したのが最初。シャープよりカシオが好きだったので
一番愛用したのがFX-502P
役所に提出する書類を山ほど作っていたので非常に役に立った
(今で言う捏造データってやつ)
いわゆるマイコンは東芝のパソピアを買ったが、あまりの無能さにあきれて
ほとんど使用しなかった。
市販のソフトを買うのは趣味じゃないので、子供に計算問題などの簡単なソフトを作って遊ばせていた
テレビが無かったが、思い切ってモニター兼用のTVを購入し家族に内緒で見ていた。
ある時スーパーマンをTVで放映していたので、子供に見せてやったら
近所で「うちの父ちゃんはスーパーマンをコンピューターで作った」
と触れ回って恥をかくという事件があり
子供たちに強要されて、たまにTVを見せることになってしまった。